ローリングストーン Sathisfactionで一気に独自の世界へ!!
両者は、よく比較される。
たしかに音楽のルーツとしては、どちらも
ロックやR&Bではある。
が、両者は全く違う音楽だ。
ビートルズは、ハーモニーが美しく
またそこに独自のスタイルを作った。
これぞ、ロック!!という感じ。
パフォーマンスも魅せる
ライブを主体をしたバンド。
ビートルズのポップな曲調とは相反して
渋い楽曲。
1963年のデビューから
解散する事なく
長く活動を続けているのも
ビートルズとは大きく異なる。
なんせ
半世紀以上の活動なんだから・・・
恐れ入る。
******************************
1965年
大ヒットしたサティスファクション
:
******************************
キース・リチャーズとミック・ジャガーはもともと幼馴染だった。
偶然、通学途中で再開したことが
全てのはじまりだった。
その時、ミック・ジャガーは
チャックベリーや
レコードを持っていた。
2人の共通の友人ディックがベースをして
3人でロックバンドを始めるようになる。
バンド名は、このとき
ローリングストーンズではなかった。
****************************
そんなある日、
ジャズクラブで
ブライアンが演奏した
スライドギターを見て
バンドメンバーに欲しいという事になった。
ブライアンも
メンバーを探していたところだった。
そこに参加していたイアン(key)チャーリー(Dr)も加わる。
1962年
最初のギグメンバー
【ギグとは/小さなライブハウスでの短いセッションの事】
ブライアン・ジョーンズ Gt (リーダーだった。1969年急逝。)
イアン・スチュワート Key (見た目がロックでないという理由で後に外される)
ミック・ジャガー Vo
キース・リチャーズ Gt Vo
ディック Ba
ミック・エイヴォリー Dr
後に・・・・・
ビル・ワイマン Ba(ディックの後任)
チャーリー・ワッツ Dr (この後、1963年に加入することになる)
*****************
1962年
初のギグをするにあたり
「ジャズ・ニュース」紙と
電話で話していたその時。
バンドの名前を尋ねられてしまった・・・
そこで、
ブライアン。
たまたま床にあった
マディ・ウォーターズのレコード
が目について、その中の1曲
『ローリン・ストーン』が目について
この名前を出した。
ここから
「ローリングストーンズ」になる。
ベースのディックは、まだ学生だったので
その後はビル・ワイマンが後任となり
レコード制作へ・・。
これが、マディ・ウォーターズ
********************
そして、1963年
チャックベリーのカバー
「Come On」
でデビュー。
このメジャーデビューは
ビートルズが彼らの演奏を絶賛したのが
きっかけだった。
スカウトを投げかけられた
ビートルズの広報オールダが
1967年までローリングストーンズの
プロデュースをする。
*****************
こうやって、セカンドシングルは
ビートルズが提供したこの曲になった。
レノン=マッカートニー作詞・作曲
『I Wanna Be Your Man』
ビートルズの演奏バージョン。
********************************
1965年
アルバム、「Out Of Our Heads」
に収録されたのが
先にご紹介した
あの
サティスファクション。
この曲は4週連続の全米1位を果たす。
ビートルズもそうだったが、
イギリスだけではなく、
アメリカで支持されてはじめて
世界で通用するバンドと言われるのだ。
*****************************
ジョンとポールのような関係に憧れており
オリジナル曲を手掛け始める。
「ジャガー/リチャーズ」として
作詞作曲を行っていくようになった。
サティスファクションも
「ジャガー/リチャーズ」による
オリジナルだ。
***************************
ブライアンは、
ギターのテクニックは素晴らしかったが
作曲が苦手だった。
その為、
リーダーとして主導権を握るのが
次第に「ジャガー/リチャーズ」に
変わっていき・・・・
ブライアンは、
最終的にはバンドを脱退した。
*****************
1969年7月5日
2年ぶりになる
コンサートのはずだった。
ブライアンの代わりに
入ったギタリストの
ミック・テイラーが
このとき紹介されることになっていた。
しかし、
コンサートの2日前
ブライアンは、自宅のプールで
死体で発見される。
**************
このコンサートは、
急遽、
追憶コンサートに変更になった。
**********************
ローリングストーを創設したのは
まぎれもない、ブライアンだった。
死因は明らかになっていない。
ただ、わかることは・・・
音楽を愛してやまなかった
ブライアンが
作曲ができない為に
主役の座を降りることになったが
ブライアンが、イアン(key)と2人で
メンバーを探して
そこからローリングストーンズが
産まれたのも、事実ということ。
ブライアンは脱退し、プールで原因不明死去。
イアンは、ルックスを理由に脱退。
ロックの世界って、
こんなにも厳しいのか・・。
**********************
Sathisfactionについて
ミックジャガーは、
「この曲が俺達を一介のロック・バンドから
巨大な怪物バンドに変えたんだ」
と言っている。
もし、カバー曲だけしかできなかったら・・・・
必ずしもローリングストーンズである
必要はないわけで、
他のバンドでもできるわけだ。
ローリングストーンズでないと
できない曲を作って、はじめて、
彼らの音楽を
本当の意味で表現することになる。
そういう意味で・・・
メンバーが流動的に変わりながら、
50年以上も
活動をつづけている。
きっと、
ブライアンは
ローリングストーンズの音楽の中で
生き続けているはず。
******************