ミスチルヒストリー インディーズからデビューが決まるまで
1991年 11月
プロデューサーの小林武史氏と始めて顔を合わせた。
小林武史というのが、すごい人物で・・・
サザンのプロデュースをしたり
多くのヒット曲の編曲もしていたのだ。
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92年2月のライブで歌った「友達のままで」
実は・・・
後にメジャーデビューしてから出すことになる
アルバム「Everytihng」の中に入っているんだよね。
初回アルバムには、
インディーズ時代の曲が他にも入っている。
「風 ~The wind knows how I feel~」これもそうである。
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そして92年5月
めでたくも
ついにメジャーデビュー!!!!
同年8月
アルバムの中にある曲が
シングルカット「君がいた夏」
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そもそもは高校の軽音楽部がきっかけだった。
1985年、
桜井和寿とベース中川敬輔は
高校の軽音楽部に所属していたが、
そこに
ギター田原健一 を誘いドラマーと女性キーボードとともに、
この5人組バンド「Beatnik」を結成していて
これがミスターチルドレンの元になったバンドなのだ。
この頃は、キーボードがいたのだ。
高校時代のメンバーが今も続いているのは、
すごいことだと思うのだ。
さて、
1987年には
バンド名を「THE WALLS」に改名となった。
1988年、コンクールのテープ審査を通過したにも関わらず
なんと、ライヴ審査前にドラマーが脱退と・・・
なんともまあ、
バンド結成にはよくある非常事態。
これ、あるんだよね~。
しかも大事なライブ審査の前っていうのは
ショックが大きい。
アマチュアバンドが難しいのは
メンバーが全員揃うということ自体が
難しいところなんだと思う。
しかし桜井和寿は幸運である。
他のバンドで活動していた鈴木英哉(JEN)に
ライヴ審査当日までということで代役を頼み
危機一髪で?ライブ審査ができたのだ!!!!
いや、幸運というより・・・
桜井和寿は最初からプロを意識していたので
そういったトラブルがあろうがなかろうが
その方向に向けていただろうね。
メンタルの強さが招いた運の良さだと思う。
高校1年の時からプロを目指し、
オーディションにテープを送っていたというのだから。
そして
後日、JENに正式なバンド加入を依頼したことで・・・
ついに、
ついに
後のミスターチルドレンが完成した。
バンド名は、この後
1989年(昭和64年)
Mr.Childrenと改名。
英語表記に変わった。
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このバンド名を決めるにあたって
ロイヤルホストで意見を出し合ったという。
メンバーの好きなバンドやアルバムの名前に
CHILDRENと入ったものが多く採用となった。
しかし、大人なのにCHILDRENはどうか・・
という事で、Mrがついたという。
あとになって
「大人から子供まで幅広く聞いてもらいたい」
という意味を付け足したと語っているのだが・・
私はてっきり・・・
「大人になっても子供(少年)の心を忘れない」バンド、
という意味でつけたのだと思っていたけど
それは深読みだったかもしれないけれど
桜井さんというのは、
少年の純粋さを持ったまま大人になったという・・・
そんなアーティストではないだろうか。
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ちなみに、
初のオリジナル曲「クリスマスナイト」
実は・・・
「Beatnik」でキーボードをしていた女性に対して作ったものとも
言われてもいる。
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そして
2nd シングル「抱きしめたい」へと続く・・・
「抱きしめたい」では、
インディーズ時代とは違い、
もう今のミスチルの世界が
できあがっている。