チャットモンチー 奇跡のツーピース
今はもう解散してしまったが
チャットモンチーというバンドがあった。
おそらく彼女たちに憧れて
バンドを始めた女子も多かっただろう。
でも、私は当初
あまり興味がなかった。
しかしある事をきっかけに
このバンドに興味を持つことになった。
もはや、伝説のバンドとなったが。
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デビューは2004年。
この頃は、女の子がロックをする
ガールズバンドというものが
そんなに多くはなかったので
そういう意味でも注目は集まった。
可愛い女子が
バリバリのロックサウンド。
そのギャップは
インパクトがあった。
結成自体は2000年だった。
2000年
ボーカルの橋本絵莉子が主体となり
バンド活動をしていたが、
就職や進学を機に
メンバーは脱退していった。
それまでのライブを観ていて
チャットモンチーのファンで
同級生である
福岡晃子が加入した。
2004年4月には
サークルの先輩である高橋久美子が加入。
軽音部の部室内でバンド活動を行っていた。
地元である徳島県のバンドコンテストでグランプリを受賞し
そこからは活動範囲が広がっていった。
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いいバンドほど
解散してしまい
伝説のバンドと化してしまう・・・
このチャットモンチーのすごいところは
メンバーが脱退したときに
崩れるどころか
生まれ変わったところだ。
プロ意識というか
音楽魂というか
神技というほかない。
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2011年の9月
ドラムの高橋久美子が
脱退することになった。
その理由を
「音楽に向かっていくパワーが
なくなった」
と語っている。
人気絶頂の当時
橋本絵莉子は結婚していた事を3年間
ファンに公表していなかった。
脱退した高橋久美子は
ファンに公表しないままだった事について
バンドとしてどうなのかという
葛藤を持っていたいたようでもあり・・・
価値観の違いは埋められなかったようだ。
真相は分からないが
とにかく
作詞もしていたドラマーが
抜けてしまうのは
メンバーにとって大きな痛手だった。
ギターとベースだけになってしまった。
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普通ならどうするだろう。
新しいメンバーを入れるだろうか。
しばらく活動を止めるだろうか。
高橋久美子の代わりなんて
誰もできなかった。
さて、
このとき2人はどうしたか・・・
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しかし
福岡晃子はすぐさま
「続ける」と言ったという。
そして、
「私がドラムやるってどうかな?」
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ベーシストの福岡晃子は、
ここからドラムを始める。
ツーピースバンド
あんまりないけれど
確かに一人でバンドっぽく演奏する人も
いるくらいだし
一人ですべての楽器を演奏して
ユーチューブにあげている人はいる。
クオリティによっては
できるかもしれない
でも、普通は考えない。
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福岡晃子は
二か月間、ドラム練習に
集中した。
この当時の2人は
楽器を固定せずに
入れ替わり立ち代わり
色んなスタイルで演奏した。
その後、サポートメンバーを
入れる事になるのだが・・・・
この
ツーピース時代
というのが
すごく印象的で
面白いなと思うのである。
音楽を志すものの
意地を感じさせる。
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バンド活動をしていると
こういうことはよくある。
社会人のバンドだと
本当に仕事の合間に全員が
同じ時間、同じ場所に
集まるということ自体が
困難なことである。
では抜けたメンバーの後、
どうしたらいいのか・・・
たいていは、
メンバー募集をかけて
じっと待つ。
かなり時間が
かかる。
だから、掛け持ちする人も
多いのだと思う
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抜けたメンバーの代わりに
ドラムを始めるなんて
福岡晃子のこの発想は
驚く。
そして、
バンドを守ろうとする
愛を感じる
とにかく、この動画を
見ていただきたい。
私は、この動画をみて
悔しいけど
チャットモンチーが大好きになってしまった。
この動画では、
福岡晃子ではなく
橋本絵莉子がドラムを叩いている。
涙がでそうなくらい
感動してしまった。
イントロでは
福岡晃子がキーボードを弾いて
曲が始める前に
途中でベースを渡される。
イントロでギターを弾き
途中から
ドラムに変わる。
しかも、
橋本絵莉子は、
片手にマイク
片手でドラムだ。
そのリズムが狂うことなく
ドラムボーカルしている。
この光景のすごさに
圧倒されてしまった。
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メンバー脱退というショックを
どう乗り越えるか。
そこにバンドの醍醐味がある。
高橋久美子が抜けた後、
そのままチャットモンチーを
名乗っていいのか
悩んだという。
しかし、
ツーピースの
また名曲の数々を
生み出した。
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最後に名曲をご紹介したい。
「染まるよ」
作詞 福岡晃子
作曲 橋本絵莉子
いい曲、残したな・・・。
聴いていて、胸が苦しくなるような曲。
これぞアーティスト 浜田省吾
浜田省吾といえば、サングラス。
人前ではサングラスを外さない。
サングラスをしたまま顔を洗ってしまう事もあるという!!
そんな謎っぽい彼は・・・
マスコミへの露出が少ない。
歌詞にストーリー性がある
(それを日本語で伝えている)
低音に厚みのある、彼特有の歌声。
これこそ、真のアーティストではないかと思う。
かっこいいよなぁ・・・。
マスコミに露出して売り込む事ではなく、
あくまでアーティストとして
人の心をとらえたい曲を作りたいだけ・・・
そんなポリシーを感じる。
それと、一流アーティストはたいていビートルズの影響を受けているが
浜田省吾もやはり、そうだった。
そんな彼は、実は最初からソロ活動ではなかった。
愛奴というバンドでオーディションを
受けに来ていたところをスカウトされる。
その後、吉田拓郎のバックバンドのドラマーとしてプロデビュー。
そして、1976年『路地裏の少年』ソロデビュー
浜田省吾の影響を受けている。
そして、あの、あいみょんも。
浜田省吾で一番有名なのは、この曲だろうか。
「もうひとつの土曜日」
優しさあふれる歌詞。
浜田省吾の曲は、とにかく歌詞がいいと言われている。
そして、やはり彼自身も、歌詞に重点を置いていて
歌というのはまは一瞬にして消えるものだから、そのときに情景とかイメージを受け手にしっかり伝えなければいけない、というような発言をしている。
心の中で渦巻く何かを
どうやって言葉にするか・・・
言葉ひとつがアートなのだ。
今はやりの音楽は、
難解な言葉を並べることが多いように感じるのだが、
浜田省吾の曲には
そういったものはない。
誰が聞いても分かりやすい言葉だ。
そして、その言葉には
さすがカリスマだと思わせるような
度量の広さがにじみ出ている。
人間というのは、
きっとこういうものなんだよねと・・・。
いきものがかりは2人だった
いきものがかりは、実は2人だった。
1999年。水野と山下の男2人で路上ライブを始める。
しかし
ゆずが流行っていた頃、
カバーをする男性2人組というのが多かった。
ちょうど、椎名林檎のコピーバンドでも女性ボーカルを探していた水野が
バンド仲間の同級生の妹、吉岡聖恵を紹介された。
周りと同じ事をしていては駄目だと思い
に提案した。
吉岡聖恵が入れば、男性にも聴いてもらえるという思惑もあり・・
それは功を奏する事になった。
相模大野駅前のライブに飛び入り参加し・・・
「3人のいきものがかり」
が始まった。
3人でやった曲は
ゆずの「夏色」
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活動は休止する。
そのうち、吉岡聖恵も音大に進学し
また3人で再開する事になった。
しかし、吉岡聖恵の音大での訓練は
相当に厳しいものだったという。
その為、活動は難航した。
それでも、2人は、吉岡聖恵と一緒に活動する為に
一年間、待ったという。
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活動の仕方も
路上ライブから
ライブハウスでのライブ
へと変わっていった。
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「いきもの係」だった。
そんな2人が
軽い気持ちでとりあえずつけた
「いきものがかり」というユニット名が
メジャーデビューした今も
使われている。
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男性2人とも歌がうまいのは、
もともと2人での活動が基本だったから。
ただ、「ちゃんと歌える人が欲しい」
という意向で出来た、いきものがかりは、
吉岡聖恵のボーカリストとしての素質を存分に生かしていると思える。
ボーカル講師に言わせれば
吉岡聖恵の歌は
癖もなく
「ボイトレ」のお手本そのもの
だというだろう。
(でも、彼女、実は、演歌もR&Bも歌いこなせるのだ。)
音楽のシンプルな部分を大事にした数少ないグループと言える。
米津玄師、に迫る!(歌詞編)
米津玄師、実は・・・・
今時の流行作家ではなく、格のある文豪を好む、
そこからして、クオリティの高さを感じますよね。
全く、違う世界観・・・・
だったりするんですよ。
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では・・・・
以下、米津玄師の歌で、
表現が美しい曲をセレクトしてみました。
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「メトロノーム」
これこそ、名曲。
心地よいメロディと、優しさ溢れる歌詞。
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「春雷」
これ、聴いてみて下さい。
本当に、詩人だなって思うんですよ。
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「花に嵐」
アップビートだけど、歌はノリノリ・・・では、ない。
という反比例の曲ですよ。
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「恋と病熱」
言いたいことがあるのに
言えないことが増えたという部分・・・
言葉では伝えようのない世界観を
表してるなと思います。
米津玄師は、歌詞づくりにおいて
普遍的な言葉で子供でも理解できるように
表現したいと思うようになったそうですが
この曲を聴いて
特にその世界観を感じたんですね。
たしかに
これは多くの人にとって「わかる」言葉なのではないでしょうか。
人に何かを伝えるって、
そういう事ですよね。
難しい言葉を使えば
インテリジェンスな印象を受けますが
大事なのは、不特定多数の方がそれを聴いて
その人の中にすっと入っていくかどうか・・・
そういう事だと思うんです。
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米津玄師、に迫る!!(ダンス編)
多彩な米津玄師でありますが・・・・
曲を作り自分で歌うということ以外に
イラストが上手で
さらにそれだけでなく・・・
ダンスまでしちゃうわけですね。
イラストは内向的な面を発揮しているのですが
ダンスは外向的な面を魅せつけてくれています。
どこまでも、マルチな才能なのですね~。
はじめてダンスに挑戦したというのが、この曲だそうです。
はじめて、ですよ!!!
プロのダンサーに教わり、なんと
たったの2週間で覚えたとのことですが・・・・・
ダンス経験があったわけではないとういことなので
自分自身でアンテナを張って
ダンスのセンスをつかんだのだろうと思います。
それにしても、
2週間でものにすることが
できるものなのですね~。
こういうのって
やっぱり「才能」というのか
「感性」「センス」なんでしょうね。
そんな米津玄師ですが・・・・
普段は「曲をつくる」か「ゲームをしている」のだそうですよ。
ゲームと聞いて、親近感がわいた方も多いのではないでしょうか。
ごく普通にゲーム、なんですね~。
ところで、
このダンスに関してなのですが
上手い下手についていえば、
色んな意見があります。
しかし、おそらく・・・厳しい意見は
多才だからこそ
ついつい目についてしまう部分かと思いますよ。
でも、決して、ダンスもできるんだぞ!と
多才ぶりをアピールしているのではなく、
音楽として表現している延長線上に、
身体全体を使って、何かに突き動かされて
表現しているって事だろうと思いますね。
誰にも理解されないからこそ
色んな方法を使って
表現している・・・
表現せずにいれないものがある・・・・
そんな感じではないでしょうか。
才能ある人って
孤独でもありますからね。