音楽のない人生なんて

音楽がお好きなあなたと、音楽を共有できれば

当ブログでは、あえてアーティスト名を基本的に敬称略の形を取らせて頂く事が多いですが、これはより自然な形でという解釈によるものです。 *************************************************************************************

チャットモンチー 奇跡のツーピース

今はもう解散してしまったが

チャットモンチーというバンドがあった。

 

おそらく彼女たちに憧れて

バンドを始めた女子も多かっただろう。

 

でも、私は当初

あまり興味がなかった。

 

しかしある事をきっかけに

このバンドに興味を持つことになった。

 

もはや、伝説のバンドとなったが。

 

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デビューは2004年。

 

この頃は、女の子がロックをする

ガールズバンドというものが

そんなに多くはなかったので

そういう意味でも注目は集まった。

 

可愛い女子が

バリバリのロックサウンド

そのギャップは

インパクトがあった。

 

結成自体は2000年だった。

 

 

 

2000年

ボーカルの橋本絵莉子が主体となり

バンド活動をしていたが、

 

就職や進学を機に

メンバーは脱退していった。

 

それまでのライブを観ていて

チャットモンチーのファンで

同級生である

福岡晃子が加入した。

 

 2004年4月には

サークルの先輩である高橋久美子が加入。

軽音部の部室内でバンド活動を行っていた。

 

地元である徳島県のバンドコンテストでグランプリを受賞し

そこからは活動範囲が広がっていった。

 

 

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いいバンドほど

解散してしまい

 

伝説のバンドと化してしまう・・・

 

このチャットモンチーのすごいところは

メンバーが脱退したときに

崩れるどころか

生まれ変わったところだ。

 

プロ意識というか

音楽魂というか

 

神技というほかない。

 

********************

 

 

2011年の9月

 

ドラムの高橋久美子

脱退することになった。

 

その理由を

 

「音楽に向かっていくパワーが

 なくなった」

 

と語っている。

 

 

人気絶頂の当時

橋本絵莉子は結婚していた事を3年間

ファンに公表していなかった。

 

脱退した高橋久美子

ファンに公表しないままだった事について

バンドとしてどうなのかという

葛藤を持っていたいたようでもあり・・・

 

価値観の違いは埋められなかったようだ。

 

真相は分からないが

 

とにかく

作詞もしていたドラマーが

抜けてしまうのは

メンバーにとって大きな痛手だった。

 

ギターとベースだけになってしまった。

 

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普通ならどうするだろう。

 

新しいメンバーを入れるだろうか。

 

しばらく活動を止めるだろうか。

 

高橋久美子の代わりなんて

誰もできなかった。

 

さて、

このとき2人はどうしたか・・・

 

 

******************

 

 

しかし

 

福岡晃子はすぐさま

「続ける」と言ったという。

 

そして、

「私がドラムやるってどうかな?」

 

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ベーシストの福岡晃子は、

ここからドラムを始める。

 

ツーピースバンド

 

あんまりないけれど

確かに一人でバンドっぽく演奏する人も

いるくらいだし

 

一人ですべての楽器を演奏して

ユーチューブにあげている人はいる。

 

クオリティによっては

できるかもしれない

 

でも、普通は考えない。

 

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福岡晃子

二か月間、ドラム練習に

集中した。

 

この当時の2人は

楽器を固定せずに

入れ替わり立ち代わり

色んなスタイルで演奏した。

 

その後、サポートメンバーを

入れる事になるのだが・・・・

 

この

ツーピース時代

 

というのが

 

すごく印象的で

面白いなと思うのである。

 

音楽を志すものの

意地を感じさせる。

 

*************

 

バンド活動をしていると

こういうことはよくある。

 

社会人のバンドだと

本当に仕事の合間に全員が

同じ時間、同じ場所に

集まるということ自体が

困難なことである。

 

 

では抜けたメンバーの後、

どうしたらいいのか・・・

 

たいていは、

メンバー募集をかけて

じっと待つ。

 

かなり時間が

かかる。

 

だから、掛け持ちする人も

多いのだと思う

 

 

*****************

 

抜けたメンバーの代わりに

ドラムを始めるなんて

 

福岡晃子のこの発想は

驚く。

そして、

バンドを守ろうとする

愛を感じる

 

 

とにかく、この動画を

見ていただきたい。

 

私は、この動画をみて

悔しいけど

チャットモンチーが大好きになってしまった。

 

この動画では、

福岡晃子ではなく

橋本絵莉子がドラムを叩いている。

 

 

 

youtu.be

 

 

涙がでそうなくらい

感動してしまった。

 

 

イントロでは

福岡晃子がキーボードを弾いて

曲が始める前に

途中でベースを渡される。

 

橋本絵莉子

イントロでギターを弾き

途中から

ドラムに変わる。

 

 

しかも、

橋本絵莉子は、

片手にマイク

片手でドラムだ。

 

そのリズムが狂うことなく

ドラムボーカルしている。

 

 

この光景のすごさに

圧倒されてしまった。

 

 

***********************

 

メンバー脱退というショックを

どう乗り越えるか。

 

そこにバンドの醍醐味がある。

 

高橋久美子が抜けた後、

そのままチャットモンチー

名乗っていいのか

 

悩んだという。

 

しかし、

ツーピースの

チャットモンチー

 

また名曲の数々を

生み出した。

 

 

*****************************

 

最後に名曲をご紹介したい。

 

 

「染まるよ」

 

作詞 福岡晃子

作曲 橋本絵莉子

 

 

いい曲、残したな・・・。

聴いていて、胸が苦しくなるような曲。

 

youtu.be

 

 

 

ミスチルヒストリー  隠れ名曲 アーティストとしての真髄

 さてさて

 ミスチルの3枚目アルバム

「バーサス」のつづき。

 

Replayの後に続くのは

この曲。

 

 

ミスチルの中では

かなりマイナーな曲に入る。

 

 

**********************************************************************************************
1Another Mind 2メインストリートに行こう 3 and close to you
4 Replay 5マーマレード・キッス 6蜃気楼 7逃亡者
8LOVE 9さよならは夢の中へ 10 my life
*********************************************************************************************

 

マーマレードキッス

 

マイナーと言われているものの

 

そうかなと

思ってしまう。

けっこうこの曲、
気に入っている。

ギター弾き語り曲

という感じ。

 

マイラブ~♪と

高音になるところが

すごいいい感じなのだ。

 

歌詞的には

今のこの梅雨時期に

ぴったりだ。

 

雨にも、

ザーザー降りとか

小雨とか

天気雨とか

いろいろあるけど

 

この雨は

しっとりと降る雨という感じ。

 

**********************************************************************************************
1Another Mind 2メインストリートに行こう 3 and close to you
4 Replay 5マーマレード・キッス 6蜃気楼 7逃亡者
8LOVE 9さよならは夢の中へ 10 my life
*********************************************************************************************

 

蜃気楼

 

 

明るい曲の順番のはずだが・・・

ここは例外?

 

それはさておき

 

この蜃気楼は、

クオリティが高い。

 

この手の

ミスチルの曲は

もう癖になる。

 

 

 

作詞 桜井和寿

作曲 桜井和寿 小林武史

 

この曲には

古い映画のタイトルが

いくつか出てくる。

 

「きちがいピエロ」

これは、有名な映画。

 

 

勝手にしやがれ、の

ジャン・リュック・コダール監督の映画。

 

退屈な結婚生活を抜け出し

昔の恋人に出会うが

その翌日に男の死体を発見する。

逃げまくるのだが

その昔の恋人に裏切られる・・・

 

そんなストーリー。

 

そして

狂った果実(日活)

これは邦画。

石原慎太郎の小説だった。

 

東京都知事だった

あの石原慎太郎だが

 

純粋な音楽として

ここは、政治とは切り離したい。

 

 *********************

 

というわけで・・・・

 

何か

「きちがい」とか

「狂った」とか・・・

 

そういうイメージが

連想されて

 

狂気的な曲だなと思う。

 

それと、

桜井さん、肝が座っていると思うのだが

コンプレックスについて

書かれた歌詞である。

 

打たれても痛みすら

感じなくなっている、なんて

部分は

色気を感じさせる。

 

 

これまでの桜井さんは、

爽やかな少年的な曲が多かったが

この辺りからは

全てを超越している。

 

*********************

 

この曲をイメージづけているのが

 

ベースの渋い低音。

 

ポップス調の曲では

あまりベースを意識することがなかったが

小林氏との共作をきっかけに

ベース存在感が

大きくなったかと感じる。

 

ミスチル曲のベースの中でも

この曲は好きという人が多い。

 

 

 

 

この曲、本当に

ちょっと

カッコよすぎるな。

 

 

ブラックミュージックっぽい。

 

間奏のサックスがまた

ドラマチックだ。

 

今のミスチルの曲も好きだが

このタイプの曲、強烈な引力を持っている。

 

 

******************

 

曲もいいのだが、

この曲に乗せる歌詞が

また優れている。

 

このような

美しい日本語で表現できる

アーティストは

そんなにいない。

 

どこかで聞いたことのある

美辞麗句を並べたり

使い古されたような

言葉を真似したり

そういうのはよくあるが・・・。

 

 

 

夢は一歩外せば虚構さ

なんて

こんな表現、

そうそうは書けない。

 

 

表現したかったものの

深さが

どれくらいなのか・・・

 

きっと

言葉は・・・

その一言をそのまま書けば

むしろ伝わらない

という事がある!

 

言葉は、難しい。

言葉にした時点で

もう別のものに

なってしまう。

 

もどかしさや

苦しみ・・・

 

それを表現するのに

これだけの言葉を探し、

音で表す。

 

それでも

まだ伝えられないだろうから

 

ああやって

全身全霊で

腹の底から歌っている

あの姿に

釘付けになる。

 

 

 

 

****************************

 

というわけで、

この2曲は

 

それまでの桜井さんとは違う一面を

感じさせる曲だ。

 

特に蜃気楼に関して

そのサウンド

全くそれまでの

ミスチルにはなかった色。

 

こんな曲が作れる桜井さんに

嫉妬さえ覚える。

 

 

 

 

まさに、隠れ名曲と言える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビートルズを語る   we can wark it out(僕らはうまくいく) でも、人生は短い。

さてビートルズ

11枚目のシングル
 
1965年12月
 
恋を抱きしめよう
 
 
 
なんと
これは両面がA面となる。
 
それが
デイ・トリッパー
 
……………………………………………
 
 
ということで
まずは、
「恋を抱きしめよう」から。
 
 
we can wark it out
(邦題 恋を抱きしめよう)
 
直訳では
僕たちはうまくいく
というような意味になる。
 
 
 
 
 
 
 
ポールが当時付き合っていた
関係が壊れかけたときの
歌らしい。
 
僕たちなら
うまくいく…と
関係修復しようとするという内容。
 
 
ポールがポジティブ
僕たちはうまくやっていけると歌いのだが、
 
ジョンは哀愁を漂わせ、ネガティブ
サビで、人生は短いと歌う。
 
これは偶然だったが
まるで予言的な内容となってしまった。
 
 
まるで
ビートルズそのものの末来を
歌っているようでもあり
我にかえると
哀しいのだが・・・
 
この時期のビートルズ
最高に光っていた。
 
********************************
 
 
 
全般的に
ポールが
リードボーカルを務めている。
 
しかし
ミドルエイトと呼ばれる
大サビの前の
よくブリッジと言われる部分は
ジヨンレノンが書いた。
また、ここのリードボーカル
ジヨンレノンと
なっている。
 
この頃、
二人の共作は多く
レノン=マッカートニー
という名前で
発表されているが
 
共作の場合も
どちらかが作った場合も、
レノン=マッカートニー
という書き方がされたり
するようだ。
 
…………………………………………………
 
 
 
リードボーカルはポールなのだが
ベースボーカル・・・・というと、
ギターボーカルより難しい。
わりとファジーなギターに比べれば
リズム壊したら
バンドが成り立たないベースを
弾きつつのボーカル。
 
プロだからと言えば
それまでだが
ボーカルしていても
ベースは崩れない!
 
 
 
 
 
バンドではベーシストであるポール
アコギを弾き歌っていたりもして
これが素晴らしい。
 
 
 
 作詞作曲というクリエイトな作業に加え

演奏も・・・

全てにセンスがあり

ハイクオリティ。

 

 

ポールがどれだけすごいかを

感じさせる。

 

******************************
 
 

三拍子ワルツっぽくなる部分。
これはジョージハリストンが
考えたらしい。
 
なかなか、この部分が
面白くて・・・
時間が止まったような感覚になる。
しかも違和感なく
曲に組み込まれている。
 
またジョージは、
この曲でギターを離し
タンバリンのみで
演奏したりするが
 
タンバリンを
ジョンレノンが担当することも
あった。
 
 
 
レコーディングでは・・・
 
 アコースティックギター
エレキベース
タンブリン
ドラム

という構成だったが、
上述したように
入れ替わりがあったり
ピアノが入ったりもしている。
 
鍵盤は
ポールの方が上手いと言われているが
ジョンも「I'm Down」などでも
ピアノ演奏していたりもする。
 
ただ、
ジヨンのピアノは我流である為、
「イマジン」の時も
 
オノヨーコが
ニッキーポプキンスに
させている。
 
 
 
………………………………………………
 
 
そして、
以下
これだけ
多くのアーティストに
カバーされている。
 
 

ペトゥラ・クラーク   1966年アルバム「My Love」
ディープ・パープル   1968年アルバム「詩人タリエシンの世界」
スティーヴィー・ワンダー  1971年シングル
ヴァレリー・シンプソン    1971年アルバム「Exposed」
ハンブル・パイ -     1975年アルバム「ストリート・ラッツ」
フォー・シーズンズ -   1976年アルバム「All This and World War II」
メラニー -        1978年アルバム
            「Phonogenic – Not Just Another Pretty Face」
チャカ・カーン      1981年
 「What Cha' Gonna Do for Me」
 
とまあ、
なんともすごいカバーの数である。
 
*************************
 
 
あまりにもきれいに歌いすぎてる感じ。
 
 
**********************************
 
DEEP PURPLE
 
前奏が長いにも
限度がある。(笑)
 
歌が一曲終わるくらいの長さ。
3分くらいはイントロ。
 
 
 
*************************
 
 
 
やっぱり
良かったのは
 
ティービーワンダー
 
このリズム感。
 
 
 
 
****************************
 
ヴァレリー・シンプソン
 
ピアノによる前奏。
これもちょっとイントロは長すぎる。約1分半。
このまインストルメンタルで終わるのかと思った(笑)
 
 
***************************
 
ハンブル・パイ   
 
ディープパープルのカバーよりは
断然こっちのアレンジの方がよい。
ギターのリフがいかしてる。
 
 
 

************************

 

メラニー

 

やっぱりこの曲は、

きれいに歌い上げるのではなく

こんな感じで

ソウルっぽく歌ってほしい。

 

 

***************************************

 

 

チャカカーン

 

ああ!!さすが。

 

いいね。

いいね。

いいね。

いいね!!

 

チャカカーン。

これだよ~!!

求めていたのは。

 

このアレンジは

本当に素晴らしい。

 

正直、原曲のビートルズより

好きである。

 

この曲の編曲のしかた・・・

 

曲間の

サックスの音かな?

これもかっこいい。

 

ベースラインが

まるでベースソロ?ってくらい

大きい役目をしている。

 

ベースの低音が効いてくると

ブラックソウルっぽさが

浮き立つ。

 

 

youtu.be

 
 
【チャカカーン】
 1973年にルーファスというバンドのボーカルとして
 デビュー。
 1974年 スティービーワンダーが作った曲をもらい
  「Tell Me Something Good」が大ヒットとなった。
 
*********************************
 
 
ただ、
オリジナルを作ったのは
あくまでも
 
原曲のサウンド
独特で味がある。

ビートルズを語る なぜか両A面のデイトリッパー

「恋をだきしめよう」との

両A面でリリースした曲。

 

このギターリフ

どこかで
聴いたことがあるだろう。

 

 

デイトリッパー

 

youtu.be

 
 
************************************
 
 
1965年12月リリース
 
この時のシングルは
両面がA面だった。
 
 
その片面が
「恋を抱きしめよう」
 
 
…………………………………………
 
わざわざ
両A面にするメリットは
あるのだろうか?
 
一つには
シングルは売れにくいという事は
あるらしい。
 
 
 
 
ただ、この頃の
ビートルズ人気を考えれば
その心配はいらないはず。
 
 
何故だか・・・
このシングルは
同時発売の
6枚目の
アルバム「ラバー・ソウル」には、
入っていない。
しかも
アルバムとシングルが
同時発売。
 
シングルが入っているからと思い
アルバムを買ったのに
シングルがついてない!
 
という不満を見込んで
先手を打っての策だったのか?
 
シングルを聴くためには、
アルバムと別にまた
シングルを買わないといけない・・・
ならば、
そこにシングルA面が2曲入ってるいれば
お得感はあるだろう。
 
そういったことなのか??
 
まあ、
両方とも自信作である
という意味も考えられるが。
 
……………………………………………
 
 
 
そもそも
 
 
シングルにA面、B面とあるのは
どうしてなのか?
 
1曲だけでも
いいのではないか。
 
その由来は
アナログレコードの時代に
遡る。
 
アナログレコードというのは
表面に溝があり
そこに針を落として
音を聴くことができる。
 
ところで
 
この溝は
裏にも入れる事ができた。
 
だから
売るときには
必ず裏表とも
曲を入れていた。
 
 
それがすでに当たり前と
認識され広まった後なので
 
CDに時代になった今もなお
まだこの風習が
変わらずに
残っている。
 
 
余談だが
意外にもこのB面がヒットする
事もある。
 
一昔前だが名曲
「ダイヤモンド」「M」
 
「らいおんハート」「オレンジ」
 
などなど・・・
 
*********************************
 
さてこの曲も例によって
 
レノン=マッカートニー
となっている。
 
 
 そもそもは
ジヨンレノンが作ったようだが
ポールが手伝ったようである。
 
日帰り旅行者を意味する。
 
また
片道切符という表現をしているが
その日暮らしの意味もある。
 
ポールと演奏していて
お遊び的に
連想を広げており
できた。
 
 
実は、デイトリッパーには、
もうひとつの意味がある。
 
しかし、
ここではその話は置き
 
まずは、音楽性について
語っていきたい。
 
ギターリフが
特徴的で癖になる。
一度聴いたら
耳から離れない曲だ。
 
また
ジヨンとポール
二人が終始重ねて歌っている。
 
「4人はアイドル」なんてアルバムも
出したあとで
 
それまではポップスのイメージが
強かったが・・・
 
こういうカッコよさが
あったんだと思わせる。
 
これを改めて聴いたら、
ビートルズの音楽性の広さを
 
 
 
 
 
***********************************
 
 
 

ジヨンレノンが

 

ポールマッカートニーの

「ドライブ・ マイ・カー」

 

 

という曲に

インスパイアされて

作ったというが・・・

 

その気になる

ドライブマイカーとは・・

 

こういう曲である!

 

アルバム「ラバーソウル」の

1曲目として

入っている。

 

印象的なサビのフレーズには

中毒性があり

ビートルズ、すごい曲作ったなと思う。

 

youtu.be

それまでの

ポップス系とは違う。

 

ポールが考えたという

車のクラクションをイメージした

コーラス。

 

 

Beep Beep’m Beep  Beep   Y ear

 

 

 

コードに対して外して歌ったり・・・

 

またビートルズのドラムは

基本8ビートで

初心者の練習にもなるのだが

リンゴのドラムにも

変化が出てくる・・・

この時期から

ビートルズの音楽そのものに変化が

出てきているようだ。

 

リズムが・・・

ドラムとギターが・・・

微妙なずれというか、

トリッキーな変拍子

なのに

調和している。

 

 

 

 

 ここで

余談だが

村上春樹短編小説

「ドライブマイカー」

いうものがある。

 

村上春樹

ビートルズが日常生活の

一部だったらしいが

 

これも、自然と

ラジオから聞こえてきたのだろうか?

 

 

***************************

 

 

デイトリッパーに戻るが・・・・

 

 

色んなアーティストが

この曲を

カバーしているわけだが

 

 

 

 

オーテイス・レディング

 

セルジオ・メンデス

 

ジミ・ヘンドリックス

 

ジェイムズ・テイラー

 

 

などの他

日本でも

YMO(イエローマジックオーケストラ)

なども。

 

………………………………………………

 

オーテイス・レディング

 

ばりばりの

ロックテイストである。

 

 

youtu.be

 
セルジオ・メンデス

 

イントロははっとさせられる。

女性ボーカルの歌い方は

期待とは違ってはいたけれど。

これはこれで。

 

youtu.be

*****************************

 

 

 ジミ・ヘンドリックス

 

ジミヘンの演奏は、かっこいい。

低音のきいたギター。

 

 

youtu.be

ジェームス・テイラー

 

すごく素直に歌ってる。

歌唱力に魅力がある。

 

 ************************

 

YMOバージョン

 

ギターソロが斬新。

 

 シンセサイダーを使った

テクノサウンド

 

*********************

 

 

 

この曲のレコーディングは

 

 

たった一曲に10時間も

費やしたらしい。

 

またEMIとの契約で

リリースを急いでいたようだが

完成度は高い。

 

とにかく

ジヨンの作ったこの

ギターリフは

素晴らしい!

 

 

 

 

 

ビートルズを語る HELP!ジョン 心の叫び

1965年7月 10枚目のシングル

 

これは、「4人はアイドル」という、

ビートルズ主演の映画のテーマ曲。

 

この映画のタイトル。

 

ん〜、どうなのか?

 

 それはさておき。

この曲は実にノリがよく軽快である。

 

イントロから

ガツンとくるものがある。

 

……………………………………………

 

人曲絶頂のビートルズだが、その頃、あまりの人気で、プライベートはなくなり、ハードすぎて疲労がたまっていたようだ。

 

この曲を作ったのは

ジヨンレノン。

 

ヘルプ!

 

というのは、そんな毎日に悲鳴をあげてのメッセージでもあるようだ。

 

 ……………………………………

 

この曲は、ジヨンレノンの

心の苦痛、叫びそのものだろう。

 

彼の生い立ちについて

触れてみたい。

 

1940年10月9日

リバプールで産まれる。

 

船乗りの父親は

2歳の時に蒸発。

 

母親には愛人がいて同棲。

育児放棄だった。

 

 

育ててくれたのは

叔母夫婦。

 

5歳の時に戻ってきた父親と、母親との親権の争いで母親が勝った。

 

しかし

また愛人のもとへ戻り

叔母夫婦に預けられてしまう。

 

 

物心つかない5歳にして

愛情を受けることができないまま育っていたのが分かるだろう。

 

*********************************

 

 

 さて

 

小学校に入ったジヨンは

成績も悪く

喧嘩好きの不良だった。

 

15歳になったジヨンは

会いたかった母親に会う事が

できた。

 

その時に母親は、

エルビスプレスリー

レコードをきかせた。

 

 

ハートブレイクホテル

衝撃だった。

そこからロックにはまるのだ。

 

とういことを考えると、

ジョンレノンが世に出たのは

プレスリーの影響が大きかったと言っても

間違いではないだろうと思う。

 

新聞の通販でギターを購入し、

1957年には初の作曲もしている。

 

********************************

 

そんなある日だった。

それは、1958年。

ジヨンが18歳のとき。

母親が車にはねられ即死。

警察官の運転する車にはねられたのだ。しかも飲酒運転。しかし、警察官は無罪。

 

勿論、母親の死は大きなショックだったろうが、単純に亡くなったショックに加え、このような責任の所在が曖昧にされて悲運な事故による亡くなり方という事は、やはり人生を大きく変えてしまうのではないかと思うのだ。

 

この苦痛を乗り越えるために、

音楽に助けを求め、

拠り所としたのだろう。

 

こうやって

本格的に音楽活動を始める。

 

**********************************

 

 

ボールとは、

ジヨンが15歳の時の時に出会ったが

ジヨンとほぼ同じ頃に

ポールも母親を亡くしている。

 

そんな2人は一緒にバンド活動をして

絆を深めていったのではないだろうか。

 

 

音楽活動を続ける中、

1962年10月5日

ビートルズとしてデビューとなった。

 

同年8月に、実は

シンシアと結婚していた。

これは、公にはなっていなかった。

 

 

1963年に長男が産まれるが

ジョンは、どうやって長男に

接したからいいのかが

分からなかった。

 

それは、ジョンが幼い時に

必要な愛情を受けていなかったからでは

ないかと思う。

 

この時、

助けを求めたのは

ポールだった。

 

ボールはジヨンの息子と

遊んだりして

サポートした。

 

そして、1966年

オノヨーコと出会った。

 

ジヨンはこの頃、

日本に興味を持っており

 

彼女のアートにも惹かれ

親しくなっていく。

 

シンシアとは離婚し

1969年にオノヨーコとの結婚を果たす。

 

ジョンは、このとき、長年の孤独から

解放されたのではないかと思うのだ。

 

この頃、ジヨンはビートルズの活動に興味を失っていた。

 

1969年8月

アップルのミーティングで

「俺は辞める」と言った。

 

しかし、まさかポールが脱退するとは思わなかったようで・・・

 しかし、1970年代。

 

ついに

あのビートルズは解散した。

 

こういった事を振り返ると

ビートルズの解散というのは

結局は、

ジョンレノンの孤独が埋められず

答えを求めた先が

ビートルズではなく

オノヨーコだった・・・

 

ということになるのではないだろうか?

 

 

******************************

 

解散後は、主にオノヨーコと活動した。

 

ちなみに、

ソロ活動そのものは1968年からしていた。

 

1970年の「mother」という曲は、

「ジヨンの魂」というアルバムに

入っている。

 

 

あの有名な「イマジン」は

1971年のもの。

 

1975年、

育児の為に音楽活動を休止した。

自分の音楽活動に明け暮れるわけでもなく

愛する息子のために、休止できた男だった。

ジョンレノンは。

 

息子ショーンが5歳になったら再活動する事を決めていた。

 

そして約束通り

1980年、再開した矢先………

 

悲劇が起こったのだった。

 

…………………………………………

 

 

ジヨンには、

幼少期のトラウマがあった。

 

ビートルズの解散後も心の問題で苦しんでいた。

 

 鬱状態だったジヨンは

プライマルスクリーム療法を受けた。

それは、「原始の叫び」を意味する。

 

アメリカの精神科医

アーサー・ヤノフの

セラピーだ。

 

 

 

幼い時に満たされなかった欲求が

感情を抑圧することから

 

その時の苦痛を

再度体験することで

その抑圧した感情を出し

解放させるというもの。

 

そしてできた曲が

「mother」だった。

 

youtu.be

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解散後のビートルズは、それぞれにソロで活躍している。

 

ジョージも

ポールも

リンゴも

 

全米一位が続いたり

ヒットが沢山あったり

 

しかし、

ジヨンのソロ活動は

「イマジン」に終わってしまったとも言われる。

 

ヨーコとやっと

家庭の温かみある生活を築いて

落ち着いてきた中

 

育児をしながらも

音楽は続けてきたが。

 

………………………………………

 

ただ、

 

「イマジン」という

この一曲だけの大きなヒットでも

クオリティを考えれば

十二分だろう。

 

売れるからいい曲なのかと言えば

それは違う。

 

……………………………………

 

ジヨンの人生は

波乱に満ちて

 

落ち着く暇などなかった。

 

「ヘルプ」は

ビートルズ全盛期に

自分を見失うくらい

忙しすぎた時の

助けを求める心の声だった。

 

ただ

 

ジヨンは、その時に限らず

 

人生そのものに

誰かの真の愛情を

求めていたかと思う。

 

そういう意味で

ジヨンにとってのヘルプは

人生への問いかけだったかも

しれない。

 

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また、
解散後にローリングストーン誌の
インタビューでヘルプの歌詞が好きであると言っている。

 

 ヘルプに関しては、

かなりの思い入れがあったようで

再度レコーディングしたいと思っていたらしい。

 

もともとはスローな曲にしたかったらしいが、

映画に使う曲ということで軽快なテンポに変えたという。

 

 

1970年12月デモセッションでスローテンポのヘルプを再録音した。

ただ、CD化はされていない。

 

 

 

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