ビートルズを語る HELP!ジョン 心の叫び
1965年7月 10枚目のシングル
これは、「4人はアイドル」という、
ビートルズ主演の映画のテーマ曲。
この映画のタイトル。
ん〜、どうなのか?
それはさておき。
この曲は実にノリがよく軽快である。
イントロから
ガツンとくるものがある。
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人曲絶頂のビートルズだが、その頃、あまりの人気で、プライベートはなくなり、ハードすぎて疲労がたまっていたようだ。
この曲を作ったのは
ジヨンレノン。
ヘルプ!
というのは、そんな毎日に悲鳴をあげてのメッセージでもあるようだ。
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この曲は、ジヨンレノンの
心の苦痛、叫びそのものだろう。
彼の生い立ちについて
触れてみたい。
1940年10月9日
リバプールで産まれる。
船乗りの父親は
2歳の時に蒸発。
母親には愛人がいて同棲。
育児放棄だった。
育ててくれたのは
叔母夫婦。
5歳の時に戻ってきた父親と、母親との親権の争いで母親が勝った。
しかし
また愛人のもとへ戻り
叔母夫婦に預けられてしまう。
物心つかない5歳にして
愛情を受けることができないまま育っていたのが分かるだろう。
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さて
小学校に入ったジヨンは
成績も悪く
喧嘩好きの不良だった。
15歳になったジヨンは
会いたかった母親に会う事が
できた。
その時に母親は、
レコードをきかせた。
ハートブレイクホテルは
衝撃だった。
そこからロックにはまるのだ。
とういことを考えると、
ジョンレノンが世に出たのは
プレスリーの影響が大きかったと言っても
間違いではないだろうと思う。
新聞の通販でギターを購入し、
1957年には初の作曲もしている。
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そんなある日だった。
それは、1958年。
ジヨンが18歳のとき。
母親が車にはねられ即死。
警察官の運転する車にはねられたのだ。しかも飲酒運転。しかし、警察官は無罪。
勿論、母親の死は大きなショックだったろうが、単純に亡くなったショックに加え、このような責任の所在が曖昧にされて悲運な事故による亡くなり方という事は、やはり人生を大きく変えてしまうのではないかと思うのだ。
この苦痛を乗り越えるために、
音楽に助けを求め、
拠り所としたのだろう。
こうやって
本格的に音楽活動を始める。
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ボールとは、
ジヨンが15歳の時の時に出会ったが
ジヨンとほぼ同じ頃に
ポールも母親を亡くしている。
そんな2人は一緒にバンド活動をして
絆を深めていったのではないだろうか。
音楽活動を続ける中、
1962年10月5日
ビートルズとしてデビューとなった。
同年8月に、実は
シンシアと結婚していた。
これは、公にはなっていなかった。
1963年に長男が産まれるが
ジョンは、どうやって長男に
接したからいいのかが
分からなかった。
それは、ジョンが幼い時に
必要な愛情を受けていなかったからでは
ないかと思う。
この時、
助けを求めたのは
ポールだった。
ボールはジヨンの息子と
遊んだりして
サポートした。
そして、1966年
オノヨーコと出会った。
ジヨンはこの頃、
日本に興味を持っており
彼女のアートにも惹かれ
親しくなっていく。
シンシアとは離婚し
1969年にオノヨーコとの結婚を果たす。
ジョンは、このとき、長年の孤独から
解放されたのではないかと思うのだ。
この頃、ジヨンはビートルズの活動に興味を失っていた。
1969年8月
アップルのミーティングで
「俺は辞める」と言った。
しかし、まさかポールが脱退するとは思わなかったようで・・・
しかし、1970年代。
ついに
あのビートルズは解散した。
こういった事を振り返ると
ビートルズの解散というのは
結局は、
ジョンレノンの孤独が埋められず
答えを求めた先が
ビートルズではなく
オノヨーコだった・・・
ということになるのではないだろうか?
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解散後は、主にオノヨーコと活動した。
ちなみに、
ソロ活動そのものは1968年からしていた。
1970年の「mother」という曲は、
「ジヨンの魂」というアルバムに
入っている。
あの有名な「イマジン」は
1971年のもの。
1975年、
育児の為に音楽活動を休止した。
自分の音楽活動に明け暮れるわけでもなく
愛する息子のために、休止できた男だった。
ジョンレノンは。
息子ショーンが5歳になったら再活動する事を決めていた。
そして約束通り
1980年、再開した矢先………
悲劇が起こったのだった。
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ジヨンには、
幼少期のトラウマがあった。
ビートルズの解散後も心の問題で苦しんでいた。
鬱状態だったジヨンは
プライマルスクリーム療法を受けた。
それは、「原始の叫び」を意味する。
アーサー・ヤノフの
セラピーだ。
幼い時に満たされなかった欲求が
感情を抑圧することから
その時の苦痛を
再度体験することで
その抑圧した感情を出し
解放させるというもの。
そしてできた曲が
「mother」だった。
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解散後のビートルズは、それぞれにソロで活躍している。
ジョージも
ポールも
リンゴも
全米一位が続いたり
ヒットが沢山あったり
しかし、
ジヨンのソロ活動は
「イマジン」に終わってしまったとも言われる。
ヨーコとやっと
家庭の温かみある生活を築いて
落ち着いてきた中
育児をしながらも
音楽は続けてきたが。
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ただ、
「イマジン」という
この一曲だけの大きなヒットでも
クオリティを考えれば
十二分だろう。
売れるからいい曲なのかと言えば
それは違う。
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ジヨンの人生は
波乱に満ちて
落ち着く暇などなかった。
「ヘルプ」は
ビートルズ全盛期に
自分を見失うくらい
忙しすぎた時の
助けを求める心の声だった。
ただ
ジヨンは、その時に限らず
人生そのものに
誰かの真の愛情を
求めていたかと思う。
そういう意味で
ジヨンにとってのヘルプは
人生への問いかけだったかも
しれない。
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また、
解散後にローリングストーン誌の
インタビューでヘルプの歌詞が好きであると言っている。
ヘルプに関しては、
かなりの思い入れがあったようで
再度レコーディングしたいと思っていたらしい。
もともとはスローな曲にしたかったらしいが、
映画に使う曲ということで軽快なテンポに変えたという。
1970年12月デモセッションでスローテンポのヘルプを再録音した。
ただ、CD化はされていない。
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