クインシー・ジョーンズの話・・・(後編)
マイケルジャクソンとは
1978年、映画「The Wiz」の現場で出会う。
マイケルがプロデューサーを探していたところに、
「僕でよければ」と、クインシーが申し出た。
そして、翌年よりアルバム制作を行う事になる。
1982年のアルバム『Thriller』は
史上最も売れたアルバムとして認定された。
***********************************
ちなみに、有名すぎる、
あの「愛のコリーダ」をカバーして
これがまたヒットした。
原曲「愛のコリーダ」は、
1980年にチャズ・ジャンケルによって
最初に録音された。
↓
その曲を聴いたクインシー・ジョーンズが気に入り、
1981年に編曲。
カバーとして歌った。
この盛り上がり方!!
つい身を乗り出してリズムを取りたくなるようなアレンジ。
そして、飽きさせず、何度も聴きたくさせる。
原曲もよいが、
カバーでここまでヒットするのも納得。
****************************
彼は黒人として大きな貢献をした。
黒人音楽だけでなく、
その頃に流行っていた色んな音楽の
いいところを上手く組み入れ、
それを成功させた。
この自由な発想、
遊び心こそが、
数々の名曲をヒットさせていくことになったのだろう。
**************************************
また、勿論すでに有名なアーティストとも組んでいったが、
才能がありつつも
売れなかったアーティストと組み、
ヒットさせている。
そこが
誰にも真似できない彼の寛大さである。
その人の持ち味を最大限に生かす、ある種の才能とでもいうのか。
いい音楽と出会いたいというこの探求心は
じんとくるものがあり
そして、
沢山の人を魅了していった。
**************************
では最後に、クインシーのとんでもなくカッコいいこの曲をご紹介!!
『Heaven's Girl』